20歳のクリスマス

1993年12月24日 今から16年前のクリスマスイブ

当時私は 18歳で入社した会社を辞めたばかりで せっかく自由になったんだからと 以前から行ってみたかったスキー場バイトに申し込んでいた
先方からの返事は「25日の昼ごろにお越しください」ということで 25日の朝に出れば間に合うはずだった
24日のうちにすべての準備を終え あとは寝て起きて まとめた荷物を抱えてスキー場のペンションへと行けばいいだけだった

そんな状況ではあったが その日も何も予定がないわけではない
ツレの働いてる会社で 「男だけのクリスマス会」なるものに呼ばれていた

当時私は 250ccのバイク - CBR250R - を持っていた
このまま春まで放置させてもバッテリー上がるだけだな という話を以前そのツレに話したところ
会社の同僚のOさんという方が 貸してくれるなら大事に乗るよ ということなので スキー場から帰ってくるまで貸してあげることになっていた
そんなワケで24日の晩 クリスマス会にバイクで向かった
帰りはM氏(件のツレ)が車で送ってくれる手はずだった(今思うと飲酒運転だねw)

西京極から東山までの道 私はいつもの五条通を通っていた
夕方から夜にかけて そこは交通量が非常に多くなる
それでもバイクだからと 車道の左隅の隙間をまっすぐ通っていた

西大路五条を通過する辺りから 私の右側には 目線と同じくらいの高さまである 大きなタイヤのトラックと並走していた
わりと渋滞ぎみだったので 速度もゆっくりだったと思う 30km/hちょっとだったか・・・

前方100mほど先に 五条御前の信号があった
信号機は赤だった
そこには原付と思われるバイクのテールランプが灯っていた・・・


はずだった!


よく見るとソレは すぐ目の前の停車していた車の 車幅灯だった!

気づいたのが何メートル手前だったのか覚えてないが すぐさまブレーキをかけたら 前輪がロックされてスリップ
私の身体は右側に倒れていった
そう 目線ほどの高さのあった 大きなタイヤのほうへ・・・

もう死んだと思った
よく一瞬の出来事が スローモーションになるだの 走馬灯のように人生が見えるなどと言われるが そんなものはなかった


気がついたら5人くらいの人に囲まれていた
よくドラマなどで見る あの光景だ
「大丈夫か?今救急車が来るからな!」

私は気を失ってたらしい
なので気付くまでにどれくらいの時間が経ってたのかは分からないが それからすぐに救急車が来た

隊員の方にどこが痛いだの立てるかだの言われた気がする
とにかく自力で歩いて乗ったのだけは覚えている

京都に詳しい人なら分かると思うが 五条通を東山方面に向かってて 御前の手前で事故ったらそこがどこか分かると思う
知らなくても ネットで地図を見れば分かるかも知れないが そこは京都市立病院の前だ
救急車に乗って ぐるっと病院の周りを半周して降りた

で 病院に着いてから初めて分かったのだが どうやらぶつかった相手というのが この病院の先生らしい
帰ろうとして車で渋滞が空くのを待ってたら 急に何か(バイク)がぶつかってビックリしたらしい
そんな話をしながら肩や肘、膝などのカスリ傷を手当てしてもらった
とりあえず腰が痛かったので それを訴えたら レントゲンと撮ることになった
それがまぁクリスマスの時期やったから すごく寒かった
なんで病院ってとこは寒いんだろう と本気で思った
骨には異常なかった
そして交通事故の場合 後から痛くないところが痛み出すとか
翌朝目が覚めないなんてこともあるそうなので 必ず明朝電話してくださいとか言われた
腰の痛みに関しては 二週間後もまだ痛むようならまた来て下さいとのこと
最後に この先生は 事故の当事者なので 今後は担当できないということを言われた

で 帰ろうと思ったら警察の事情聴取
今回の事故は誰が悪いか という話
相手の車は止まってたから 10:0で私の過失
ただ 相手の車が前に出すぎてたとしたら 向こうの過失になるらしい
ハッキリ言うて 覚えてない
ただ 100mほど先のバイクのランプだと思っていたのが 目の前の車だったのに驚いて急ブレーキをかけただけ
面倒だったから 自分が勝手にコケた と言っておいた
実際どっちだったか覚えてないし
で 示談ということになり 先方が修理の見積もりを出したら それを私が払う ということで終わった

帰りにタクシーで帰るかと聞かれたが 近いから と歩いて帰ることにした
何よりバイクがどうなってるのか気になった

バイクのあるとこまで歩く
前輪のタイヤを支える フロントフォークが真横に曲がってた
ハンドルもいがんでる気がした

とりあえず 通報してくださった うどん屋(飲み屋?)に挨拶に行った
どうやらものっそデカい音だったらしく 生きてるとは思わなかったらしい
速度は大して出てなかったし 思ってたタイヤには踏み潰されてなかったし 生きてても不思議はないんだが
まずは無事だったことと 救急車を呼んでくれたことを報告するために挨拶しておきたかったと伝えた
他にもいてたはずやけど全員は聞かなかったんで その大将にだけお礼を言う

そしてとぼとぼと歩いて帰るワケだけど 結構距離があった
いつもバイクで数分の距離だったために 歩いてもすぐだと思っていたが やはりバイクと徒歩では感じる距離が違う
途中で買った店の前を通った 当然閉まってたが・・・

家に着くと 留守番電話のランプがチカチカと点滅していた
1件だと1つ 5件だと2つ 10件だと3つ点くランプが 3つまで灯ってた
「ごんべえく〜ん いーないんですかぁ?」
すっごくムカつく喋り方だったw
まぁ事故のことは知らないワケだしと思って怒るのはやめた

当時は携帯電話なんてなかったから クリスマス会をやってるとこへ連絡できなかった
かかってきたら事故の話をしよう と思ってたが 結局その晩はかかってこなかった

とりあえず腰が痛かったので 寝ようと思ったのだが なんか落ち着かない
そう お腹が空いていたのだ
仕方がないので近くのコンビニまで行く
寒いからと 事故ったときに着ていたジャンパーを着てったが 明るいコンビニではボロボロになってるのが目立ってた
この時着てたのが ミチコロンドン 後ですごいと思ったのが 破れていたのが どこも縫い目だったこと
縫えばまた着れるかな? と数日保管してたが 摩擦熱で溶けたような部分があったので 結局直さなかったが・・・
そんな格好でいたために 周りの目を気にして 結局簡単なモノしか買わずに帰った
帰って一人でおにぎりだったか パンだったか それともカップメンだったか 覚えてないが 何かを食べた
食べながら 今日はクリスマスイブやん と気づいた


そんな感じで 私の二十歳のクリスマスは過ぎた
後日ツレから「ツイてないなw」と言われたが あれだけの事故で全身七箇所のカスリ傷だけで済んだのは運がいいと言われた


― 後日談 ―

翌日 やはりツレから電話がきた
事故ったことを伝え Oさんにもバイクを貸すことができないことを伝えた

それからスキー場 行けなくなったことを電話で報告
当日になって バイクで事故です なんて信じてくれるかどうかは分からないが とりあえずわざわざ連絡くれてありがとうとまで言われてしまった
結構連絡なしで来ない人も多いみたいだ

そしてその後 やはり警察から連絡があった
バイクをどうにかしないといけない と
そしてそのバイクを買った店が近くにあったので そこへ連絡
ややこしい話だが 買ったのは私ではなくツレ
私はそのツレから 10万円で譲ってもらった
たまたまキーホルダーの書いてあったバイク屋が 自宅の近くだったので訊ねたら そこで買ったことを教えてくれた
ということで 私とその店とは なんの関係もないんだが そこにお願いすることにした
なんか怖そうなおっちゃんが出てきて とりあえず事情を話す
廃車として2万円かかる と言われたが バイク屋さんがそう言うなら2万かかるんだろう 素直に支払い 領収書までもらった
後日「ようアレで生きてたな」と言われた

もう1つ 事故の当事者である 病院の先生からも連絡があった
金額は覚えてないが 見積もりが出たので コピーを送るとかそんな感じだった
それもバンパー部分がすごいヘコみ方だったらしく 結構な金額だったのだが 私が退職してすぐってことなどを話し 安くしてもらったらしい
結局年明けに支払ったのは 見積額の半分ほどで済んだ

痛みのほうは結構ひどく 毎晩寝るときはちょう痛い程度だったのだが
朝目が覚める頃は その腰の痛みで目が覚める といった具合だ
しかし不思議にも 2週間後にピタっと痛みが治まったので その後病院には行かなかった

そんな感じです